「すげまほ」について

演劇人として著名な、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(Keralino Sandorovich)氏のミュージシャンとしてのソロ作品の曲中に「もう一歩」という曲があって、その歌詞がすこぶる興味深い。そこでは「無意識的なものを意識化するくすり」をある教授が開発し、それを常用している「タナカノボルくん」が、あれこれ語る中で、印象的なのが、以下だった。

“俺、さりげなくてゆっくり動いて やかんのように湯気を噴くものに”すげまほ”って名前を付けたんだぜ”

確かに曰く言い難いものには名付けづらい、というか言葉で表現がしづらい。たとえば

  • 玄関を出た瞬間に感じる季節の変わり目 
  • 微妙な位置の痛みを医者にどう説明するか迷うとき 
  • じゅうたんにこぼしたコーヒーの「残り香」
  • 誰かの言葉に返せなかった返事の余韻

つまり、それらは同定しづらく、捉えどころがない。
無意識のうちに「それ」として受け止めてはいても、すぐに意識の外へとこぼれ落ちてしまう。それを意識化出来る薬があったなら、それらのものを際立たせられるような名称を与えられるだろう。
名前をつけられるということは、輪郭がしっかりと捉えられているということなのだ。


例えば月の呼び名は、「満月」「半月」「三日月」など、そしてその途中の形は「三日月っぽい」「満月にあとちょっとくらい」というような呼び名をする他ない。
ところでいざ調べてみると日本では月の満ち欠けの状況によって、「上弦の月」「下弦の月」「新月」「十六夜」その他おどろくほど沢山の呼び名がある。

同じく明け方の空の状態も「暁」(あかつき)「東雲」(しののめ)「朝ぼらけ」など、段階によって意外と沢山の呼び名がついているらしく、ちょっといくつか調べてみた。


「薄明」(はくめい)
薄明は、夜明け前に空がわずかに明るくなる頃。太陽はまだ地平線の下にあり、光は弱く、景色はぼんやりとしている。

「黎明」(れいめい)
黎明は、薄明の後、太陽が地平線に近づき、空がゆるやかに明るさを増していく時間帯。

「払暁」(ふつぎょう)
払暁は、夜明け直前、太陽が地平線から顔を出す頃の時間帯。空が明るみ、一日の始まりを予感させる瞬間。

面白い時間の呼び名に「彼者誰時(かわたれどき)」というものがある。

「彼は誰?」と思うくらいの薄明かり──遠くの人の顔が判然としない明るさ、という時間帯。


古人もまた、さまざまな「中間形態」に気づき、それらに名前を与えて存在を際立たせてきた。さながらタナカノボルくんのように。

「名前は無いが、それは在る。」
—KERA『展開図』Track3. もう一歩