偉大なるタイポグラファー

2000年の秋、当時ドイツに滞在していた私は、思いがけない縁からタイポグラフィ界の巨匠、Hermann Zapf氏のご自宅を訪問する機会を得ました。これは、そのときの記録です。あのとき感じたことを忘れないよう、書き残していたままの文章です。

去る2000年秋、ドイツ有数のタイポグラファーであるHermann Zapf 氏のお宅にお邪魔する希有な機会を頂いた。当時、デザイン関係のとあるメーリングリストに参加していたのだけど、その中で知りあった「Iさん」にHermann Zapf氏を御紹介いただけることになった。(Iさん。本当に感謝しております)

メーリングリストで色々意見交換をしたり、自分の現状を話したりしているうちに I さんより、「ドイツに在住していてタイポグラフィーに興味あるなら Zapfさんという人がいるけど?」と教えてくださった。

Zapf という語が出て来た時は「まさか?」という感じだったのだが、Iさんの語るZapfさんは正真正銘のその人であり、しかも当時ご健在だという事。そして当時在住していたフランクフルトからさほど遠く無いダルムシュタットにお住いとの情報。そして希望するのであれば紹介して下さるという。こんな機会、あるだろうか。

氏の名前だけで気付く人はグラフィックデザイン業界外では少ないかも知れないけど、Mac でフォントを日常使っているデザイナーや、写植からずっとやっている人なら必ず一度は氏のフォントに触れているはずである。よく知られている書体に「OPTIMA」や、「Zapfino」がある。


後日氏から直接お電話を頂いた。英語もままならない僕は「感激しています」「楽しみです」位の事しかいえず、また突然受けた電話にどう対処していいかわからず、当時ドイツに着いて間も無く、ポートフォリオもきちんとまとめていなかった為、ひとまず後日連絡いたしますとほうほうの体で返事。

そして3カ月もの間、緊張しつつ、躊躇しつつ時間がどんどん経過した。ある日勇気を振り絞って、つたないドイツ語と英語で「お伺いしたい」旨のファックスを送付した。その一週間後、氏から改めて電話を頂く。「今週の土曜日の夕方は空いてますか?」と言われ慌てて返事をし、電話を切った後3日後の土曜日に向けてブックの再編成。そしてダルムシュタットまでの道筋を確認。友人が、D-Bahn の時刻表を割り出してくれたが、Frankfurt 経由だと非常に時間がかかる事が判明する。それまでU-Bahn(地下鉄)しか経験がなかったので、また緊張した。

当日Lendermusseum 駅に着いて路線図をジっと見る。Ostend Strasse 駅で、S3 か、S4 に乗り換えれば行けそうである。迷ったが時間に少し余裕があったので、S3 に乗り換えチャレンジした。

はじめて目にする車窓というのはとても心細いけど、わくわくした。しばらくたってから経過する駅名を確認し、この電車が間違いなくダルムシュタットに向かっている事が確信できて一安心。

駅についた。ダルムシュタットHBF はなんだかヨーロッパ的な情緒が深い風景を持っている。映画でいつか見た、典型的な「ヨーロッパの駅」の姿そのものに感じた。約束の時間まで20分ほどあったので、駅の写真を撮って、キオスクでサンドイッチと珈琲を購入。じっと食べる。周りに一人の東洋人もいない。時間が差し迫りタクシーを拾う。住所を告げてタクシーの窓からダルムシュタットの町並みを眺める。郊外のような所までタクシーは走り、ようやく目的地についた。そして番地を確認。

まずその家がカッコよすぎた。少し開けた高台のように見える庭先に、地面に張り付くような矩形のフォルム。近隣の他の建築物との違いから、すぐに「Zapf氏の邸宅はこれに違いない」というのが分かった。ベルを押すまえにしばしその矩形の家屋を見つめる。

ベルを押すと奥さんが出て来た。この奥さんも名だたるタイポグラファーの一人Gudrun Zapf (Diotimaの作者である。


門が開き玄関に入ると、そこに Hermann Zapf その人が立って笑顔で僕を迎えてくれた。

差し出されたクッキー、そしてコーヒーを頂き、挨拶をして会話が始まる。なぜドイツに来たのか?なぜドイツだったのか?学校で何をやっているのか?日本で何をやっていたのか?今は何をやっているのか?。受け取る質問に、できる限りの拙いドイツ語で答えた。もちろん表現しきれない部分は英語にたよりながら。どこの何者とも知らぬ若者がしどろもどろに答えているなか、夫妻は笑顔のまま受け止めてくれていた。

僕がどうしても聞きたかった二つの質問。「アルファベットの中で、どれが一番デザインに苦労しますか。」「書体によってそれは様々に変わるけれども、私にとっては、大文字の M と、小文字の g が大体いつも難しく感じられる」意外だった。大文字の M が簡単だとはもちろん言えないのだけど、シンメトリーで比較的全体のバランスの中間にあると思われる M が難しい。そうか。なんとなく書体制作にある深遠なものを感じ、理解できないながら、内心興奮のしきりであった。

結局大文字のMがどういう意味で制作において難しいのか、までは自分のボキャブラリー不足の為確認できず。「書体をひとつ完成するまでにどのくらいの時間がかかるのですか。」「それも書体によって様々です。例をあげると、OPTIMA は完成までに6年かかりました」

うむー!と唸った。6年。である。その間、それだけをやっているわけでは勿論無いだろうが、ひとつの書体を6年、眺めつづけるのである。そしてその善し悪しを絶えず自分に問いつづけるのである。4カ月位程度のスパンで1書体完成させて、「ヒー」と言ってる僕などとは桁違いである。


恥ずかしながら自分の作品をみて頂いた。とても興味をもって下さった(と思ってる)。作品の内容に関してもいろいろと質問して下さった。自分の作品の中には、ビジュアルに比重のあるものや、タイポグラフィーに比重があるもの、あるいはフォント制作そのものが入り交じっている。

やはり氏はタイポグラフィー比重の作品、あるいは書体デザインのページに目を光らせている。そして自分が当時制作していたフォントの一つを非常に気に入って下さった。とても意外だったが嬉しかった。

フォント作品は見せるべきかどうか躊躇はしていた。

「なんだこのウネウネは!これを書体と君は言うのかね!言ってしまうのかね!」などと怒られてしまうのでは。まあイイヤ。自分で納得して作ったんだし。怒られたら謝るだけだ、という気持ちで緊張して見せただけに、(間違いなくご挨拶で褒めて下さったにせよ)ひとしおだった。

最後にダルムシュタットのレストランで夕食を御馳走して下さり、夢うつつのまま電車で帰宅。今振り返っても本当に何もなかった自分に、そこまでもてなしてくださった、偉大なる御夫婦に感謝しかない。その時CD-ROM の形でプレゼントして下さったZapf氏のビデオ(The Art of Hermann Zapf)は今でもスクリーンセーバーにして流している。同じものをVimeoでみつけたのでリンクします。